さて、14歳で筋ジストロフィーが判明した長男。
衝撃の宣告を受け、しばらく部屋から出て来ず・・(無理もない。たくさん泣けばいいよ)と私は思いそっとしておいたが、それでもあまりにそれが長いので不安になってきた。
(生きてる?)と心配になってきた。
痺れをきらし、いよいよ数日後、部屋をノックしようとしたその時、長男君がガチャッといきなり出てきた。
ええええええ?誰?何?
なんと息子は髪を金髪に染め、眉をキリキリにそり上げピアスだらけになって飛び出してきた。
そして
「母さん、俺、この町一番の喧嘩番長になってみる!よーし!楽しい学校生活を謳歌してくるぜい」
とピースしながら外へ飛び出していった。
・・・・そっち?・・・・
この町No.1のヤンキーになる。それが息子が死ぬまでにやっておきたいことだったのか・・・
泣き虫だったのに、病弱だったのに、なんという間違った強気( ̄▽ ̄;)
そこからは、もうありとあらゆるヤンキーの王道と言えそうな行動に走って行った。
私は学校から「喧嘩をした」「学校をさぼってどこかへいった」「バイクに乗っていた」とほとんど毎日、呼び出される日々となった。
警察のお世話になる事もしばしば出てきた。
しかし長男は「これが青春」と言わんばかりにヤンキー街道まっしぐら
私はその都度、頭を下げに登校。息子は逃げちゃっていないのに・・・
いやもう、メソメソされるのも辛いけど、これはこれできつかった。
それでも自分の病気を知った途端、長男はどこ吹く風とばかりに楽しそうになった。
そしてそして、「あと5年で車椅子でしょう」と言ったお医者様の予測を裏切り、なんと30過ぎの今までピンピンしている。
そりゃまあ、いつか動きにくくなる日は来るとの事ではあるが、『病は気から』ってこの事なんだろうか。
いくら筋ジスでもあんなワルに同情する気にもなれず、今はもう、わるさも終わり、サラリ―マンになった息子に対し、私は『先の不安』より『強い生命力』を感じている。