夜泣きに熱性けいれん、と様々なトラブルを結構な頻度で新米ママにみまってくれる長男が幼稚園の年長さんの時の話。
季節は春。うららかな陽ざしがキラキラしていて、のんびりとした昼下がりだった。
息子は時間通りに「ただいまー」と元気に帰ってきた。手を洗い「わ!クッキーだー」
嬉しそうにダイニングテーブルに座る息子。「さあさあ、好きな物から召し上がれ」満面の笑みでココアを入れるために少し目を離したその瞬間、「どたーっ!」と派手な音がした。
振り向いた私が目にしたものは、長男が椅子から転がり落ちて床で白目を向いている姿だった。体は硬直していた。
(今度は何?)
不安を覚えながらも熱性けいれんの経験があったので比較的、落ち着いついていた。
(熱性のものならどってことないし・・・いやでも今日の体調で熱性けいれん??いや、ちょっと違う・・・前とは何かが違う)
この子、てんかん持ってるの?
そう考えながら、発作時間をはかりながら保険証、財布をさっさと用意して、また救急車を呼んだ。
救急車が到着した時には息子は意識を取り戻していたが、頭を打っているかもしれないとの事でとりあえず病院へ。
そして、検査の結果、てんかん波がみつかった。
医師からは
「40人に一人の珍しくない病気。毎日、薬を飲んでいれば発作は抑えられる。」
と言われた。そして90日分の薬が処方された。
珍しくないと言われても親にとってはショックだった。なんでうちの子が40人に一人に選ばれなきゃならないのか、と神様を恨んだりした。
でも泣き言ばかり言っていられない。私は全ての薬をばらして日にちを書き、朝晩飲み忘れがないかチェックできるようにして、フォローした。
半年に一度の血液検査と尿検査は、小学校に入った時から一人で行かせることにした。
1年に1回の脳波検査も3年生からは一人で行かせた。
検査の朝は絶食させてバスと電車を乗り継ぎ、満員電車に乗って病院まで行く。(一人で)採血と採尿が済んだら持たせたおにぎりを食べて、学校に登校というミッション。
もしかすると一生この生活が続くかもしれない、と思った私が与えた息子への試練だった。
以来、泣き虫長男は、毎日2回の服薬と半年に1回の腹ペコ通院を9年間続けた。
脳波の検査のあとのジェルだらけになった頭は病院の洗髪室で自分で洗って学校に行った。
そして、12歳で脳波は正常になり、減薬。15歳でやっと『完治』というゴールまでたどり着いたのだった🌄
しかし、しかし・・・・
てんかん卒業と引き換えに彼はとんでもないものを持って帰ってきたのだった。
🌸さて彼が持ってきたものは・・・この次の話🌸